【燃える闘魂】 アントニオ猪木( Antonio-Inoki,)、本名:猪木寛至(いのき かんじ)さん
1960年4月にブラジルのサンパウロで興業を行っていた力道山から 「日本に行くぞ 」 と
直接スカウトされ、そのまま日本へ帰国し日本プロレスに入団されたそうです。
力道山から掛けられた最初の言葉は、 「 オイ、裸になれ 」 と 上半身だけ脱がされて...
背中の筋肉を見るなり合格になったようです。
( 後日談に、猪木の肉体は全盛期の ルー・テーズ さんに そっくりだったため ?
デビュー後に 外国人トレーナーから オファーも 殺到したとのこと?)
アントニオ猪木 さんはこの時の出会いを 振り返り、
「 本当に自分は運がいい 」と今でも語っているそうですが...
入門後は 大変な苦労 だったようで...?
同時期にプロ入門した、ジャイアント馬場 さん付き人などは経験せずに
すぐに アメリカ遠征に出され、給料も出ていたという完全に 特別扱いだったがそうですが...
猪木さんはその全く正反対で...力道山からはまるで目の仇のように厳しく育てられたそうです。
力道山にリングシューズを履かせる際、ちょっとした紐の掛け違いでも
殴られたり蹴飛ばされたりしたとの事... ( 不条理な体育会系? 親方と弟子? )
1960年9月30日、 デビュー戦で 大木金太郎 さんに逆腕固め負け。
1966年11月19日、 ジョニー・バレンタイン と対戦し、勝利 US王座獲得。
1967年10月31日、 ジャイアント馬場 と組み、ビル・ワット、ターザン・タイラー組に勝利。
インターナショナル王座獲得
1969年5月16日、 クリス・マルコフ を破り ワールドリーグ戦 初優勝。
1969年12月2日、 NWA世界ヘビー級王者 ドリー・ファンク・ジュニア に挑戦、
ノーフォールのまま60分時間切れ引き分けとなった。
1972年3月2日、 ジョン・トロス 戦に勝利 UNヘビー級王者を 獲得。
日本プロレスを追放された後?は 新団体設立を 画策し...、
1972年1月26日に 新日本プロレス を 旗揚げ。
1972年10月4日、 カール・ゴッチ さんと対戦、勝利 世界ヘビー級王座 を 獲得。
1973年10月13日、 坂口征二 さんと組み、 カール・ゴッチ、ルー・テーズ さん組と
90分3本勝負で対戦、2-1で勝利。
1973年12月10日、 ジョニー・パワーズさんと対戦。 NWF世界ヘビー級王座獲得。
1974年3月19日、 NWF世界ヘビー級選手権試合で ストロング小林 さんと対戦、
大物日本人同士の対決が話題に
ジャーマン・スープレックス・ホールドで勝利。
1974年4月26日、 坂口征二 さんと初対戦。 30分1本勝負で時間切れ 引き分け
1974年6月26日、 因縁の? タイガー・ジェット・シン さんと対戦し、 右腕を 折る。
1974年8月16日、 坂口征二 さんと組み、クルト・フォン・ヘス、カール・フォン・ショッツ 組
から 北米タッグ王座 を 奪取。
1974年10月10日、 NWF世界ヘビー級選手権試合で 大木金太郎 さんと対戦、
13分13秒で バックドロップ からフォール勝ち。
1975年12月11日、 ビル・ロビンソン の挑戦を受けてNWF選手権、60分時間切れ引き分け。
1976年2月6日、 ミュンヘンオリンピック柔道無差別級金メダリスト ウィレム・ルスカ さんと
初の 異種格闘技戦 バックドロップ3連発 で勝利。
1976年6月26日、 プロボクシング世界ヘビー級チャンピオン モハメド・アリ さんと対戦、
時間切れ 引き分けに終わる。
1976年10月7日、 アンドレ・ザ・ジャイアント さんと 格闘技世界一決定戦 を戦い
レフェリーストップで勝利。
1977年8月2日、 空手のWKA世界スーパーヘビー級チャンピオンであった、
ザ・モンスターマン(エベレット・エディ) と対戦、 KO勝ち。
1979年8月26日、 プロレス夢のオールスター戦で、ジャイアント馬場 さんと組み、
タイガー・ジェット・シン、アブドーラ・ザ・ブッチャー 組と対戦、
シン を 逆さ押さえ込みに仕留めて勝利。
1979年11月30日、 ボブ・バックランド さん戦に勝利。
日本人初、 WWFヘビー級王座獲得 (王座はのちに返上)。
1980年2月27日、極真会館所属の ウィリー・ウィリアムス さんと対戦、
ドクターストップの 無効試合 となった。
1980年9月25日、 スタン・ハンセンさんと対戦、 逆ラリアート でフォール勝ち。
1982年11月4日、 ラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇 と 1対3変則マッチで対戦、
寺西、浜口からフォールを奪うも 木村にリングアウト負け。
1983年5月27日、 第1回IWGP決勝リーグ戦で 前田日明 (当時は前田明)さん と
(唯一のシングル)対戦、フォール勝ち。
1983年6月2日、第1回IWGP決勝戦でハルク・ホーガンさんと対戦、
アックスボンバー により リング外に転落し頭を打ちKO負け。
1983年11月3日、維新軍との4対4綱引きマッチ?で 谷津嘉章 さんと対戦、フォール勝ち
1984年6月14日、第2回IWGP決勝戦で前年優勝した ハルク・ホーガン さんに挑戦、
2度の延長戦や 長州 が乱入するものの リングアウト勝ち。
1985年4月18日、 ブルーザー・ブロディ さんと 対戦、両者リングアウト。
1985年12月12日、 '85IWGPタッグリーグ戦決勝戦 で 坂口征二 さんと組み、
藤波辰巳、木村健吾組と対戦、藤波の ドラゴン・スープレックス で敗北。
1986年2月6日、 UWF 代表の 藤原喜明 さんと対戦、疑惑の急所蹴りがあるものの勝利。
1986年6月17日、 アンドレ・ザ・ジャイアント さんと対戦、世界初の ギブアップ勝ち。
1987年3月27日、 大阪城ホールでの 「INOKI闘魂LIVE Part2」 の
マサ斎藤 戦に海賊男が乱入 観客が暴動を起こす。
1987年10月4日、 巌流島 で行われた マサ斎藤 さんとの
時間無制限ノーレフェリー・ノールール・無観客マッチは
「巌流島の戦い」と呼ばれ、2時間5分14秒の死闘を繰り広げた(末勝敗)。
1987年12月27日、 たけしプロレス軍団 の刺客、 ビッグバン・ベイダー と対戦し、
2分49秒で敗れる。再三のカード変更と猪木の敗北に観客が、
大阪城ホールに続き暴動を起こす。
1988年7月22日、 長州 力 さんと対戦、 フォール負け。
1989年4月24日、 「格闘衛星闘強導夢」 と釘打ち、プロレス初の 東京ドーム大会で
ショータ・チョチョシビリ と異種格闘技戦。
裏投げ を食らい、左肩を脱臼し(異種格闘技戦初の)敗北。
1989年5月25日、 大阪城ホールで再戦し、 ギブアップ勝ち を収める。
1990年2月10日、 坂口征二さんと組み、 蝶野正洋、橋本真也 組の挑戦を
受ける形で対戦し、結果は蝶野からフォール勝ち。
この試合で初めて 「1、2、3、ダー!」 を 披露。
1992年1月4日、 馳 浩 さんと対戦 、 卍固め で勝利。
1994年1月4日、 天龍源一郎 さんと対戦、 パワーボム で 敗れる。
1994年5月1日、 福岡ドームで グレート・ムタ さんと対戦、 フォール勝ち。
この試合より引退への布石となる 「イノキファイナルカウントダウンシリーズ」が始まる。
1998年4月4日、 「ファイナルイノキトーナメント」を 勝ち上がった
ドン・フライさんと引退試合で対戦、グランド・コブラ で 勝利。
この道を 行けば どうなるものか
危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せば その一足が道となり その一足が道となる
迷わず行けよ 行けばわかるさ
清沢哲夫(のちの暁烏哲夫)さんの詩 「道」 からの引用のようです。
この詩は、初出「同帰」第335号(昭和26年10月1日発行)。
『無常断章』1966.5 法蔵館に所収されているそうです。
本日(8月10日)は、
道 の 日
1920(大正9)年のこの日、日本初の近代的な道路整備計画が決定した日。
思えば 思わる る
( 日めくりカレンダーより )
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